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ベトナム旅行記 8

2月2日(月) 
 ホテル9時発。午前中クチトンネル、午後、ホーチミン市内見学。パックツアーは今日で終了。
わたしたちは1日延泊して、あす、メコンデルタ方面へ行こうと思っている。

◆ クチトンネルへ

 サイゴンから車で約一時間半の郊外に南ベトナム解放戦線 の掘った戦闘用のトンネルが保存されている。

 車は、ホーチミンからカンボジアのプノンペンへ通じる広い自動車道を西北へ進む、客は相変わらずわたしたち3人だけ。この道は、解放戦線軍がサイゴン攻略時に使った田んぼ道だったそうだ、今は4車線の幹線道路となっている。
 
 車のなかで、ガイドさんがベトちゃんとドクちゃんのその後を聞かせてくれた。二人とも元気だそうです、ベトちゃんには彼女もいるとのこと。

 クチに近づくと、道の両側に広大なゴム園とさとうきび畑が延々と続いている。フランス植民地時代のプランテーションである。

 クチは、ホーチミン市の北西60km。ベトナム戦争の時、さんざんアメリカ軍を悩ませた、解放戦線のゲリラ戦基地があり、軍事的に重要地区だったのでアメリカが落そうとしたが、結局失敗に終わったところだ。
 
 クチの地下トンネルは4300平方キロの区域にわたって掘られ、総延長は200kmにのぼると言う。
 
 見学できるのはサイゴン川近くのベンズオック地区(解放戦線サイゴン・ジャディン地区司令部があったところ)とベンディン地区の二つだが、わたしたちが見学したのは後者。
 
 パネルとビデオをつかった説明を受けたあと、林にはいる。爆弾と枯葉剤で当時はまったく失われたジャングルが、いまは成長の早いユーカリを中心に、緑が回復しているとのこと。あれから1/3世紀。

 「このへんにトンネルの入口があります。どこだかわかりますか?」とガイドさんが聞く。山歩きに慣れているわたしが、「ここだ!」と指差して答える。正解であった。
  トンネルの入り口は枯葉でカモフラージュされている。靴で木の葉をわきへ寄せると、木のフタがあらわれた。
 
     
トンネルは狭い!狭い!

  トンネル入り口は小柄なベトナム人しか入れないような狭さである。妻は入るにはいったが出るのに一苦労、腕に力が入らなかったからと弁明するが、お腹とお尻のでっぱりが主因であることは明らかだ!


 説明では、 トンネルは一本だけではなく、何層にもわたって掘られている。一番上の層のトンネルは、地上から3〜4m下にあり、100kg爆弾にも耐えられるように設計されているそうだ。
 
 その中に作戦会議室や病院、炊事場などの施設も作られている。炊事のときに煙が見つからないような工夫、トンネル内で交戦するときのために一定区間ごとに極端に細い部分を造っておくとか、いろいろな知恵をしぼった工夫がされている。
擱座した米軍戦車 落とし穴の仕掛け タピオカの食事

 観光客の体験用に少し大きく広げられたトンネルに入ることが出来る。 全長60mで20m毎に出口があるという。
 入ってみたが、ひざを曲げてかつ腰を折った状態で、一寸刻みに前進するしかない。中はほんとうに狭くて、かつムシムシしている。わたしは、20mでギブアップ。ほうほうの体で地上に逃れた。

 よくもまぁこんな長い地下トンネルを人の手だけでつくったものだ?ざると鋤で手掘りしたようだ。(ちなみに地質はメコンデルタの堆積物で硬くも無くやわらかくも無く自立性の高い砂混じりシルトと観察した)
 トンネルは、ありの巣のように広がっていて、神出鬼没に作戦活動をし、かつその中で何年も生活したという。
 
 すごい!すごい!
 戦闘が始まった村から逃げ出さずに村を守ろうと団結した農民。すごい精神力と忍耐力に脱帽!
 あの大国からこうやって勝利をもぎ取ったんだ!
 
 ベトナム人というのは1000年にわたる中国支配、19世紀初頭から100年以上にわたるフランスの支配に耐えてきた民族だ。それらがベトナム人の強固な反権力精神を培って来たのだろうか?
 
 それにホーチミンという立派な指導者がいたことも忘れてはならない!
   (どこかの国の 「金」とか「フセイン」とかいう輩とは、大分違う)
  クチのトンネルに入ってみてその辺のところがほんのちょっと分かったような気がする。
 
 さて一汗かいたところで、擬似地下食堂でお茶とタピオカをご馳走になる。これを食べて戦闘していたのか?

 再び地上に出て、塹壕や野ざらしになっているアメリカ軍の戦車。落とし穴の装置が展示されているのを見学。


 わたしたちが見たのはベンディン地区のトンネルだが、ベンズオック地区には、さらに大規模なトンネル網が残されているという。こちらの方は地下でサイゴン川にも通じていてより巧妙なゲリラ戦術でアメリカ軍を悩ましたと言うことだ。

 当時のアメリカ軍将校が「ベトコンはどこにも見えない。だがどこにもでも居る」と言ったという。

◆ ホーチミン市内観光

 市内に戻って昼食後、統一会堂、サイゴン大教会、中央郵便局、歴史博物館をめぐった後、鶏を敬遠してベンタイン市場見学は、やめてその代わりに変わりに国営デパートを覗く。

 最初は統一会堂(旧大統領官邸)

 もともとは1870年植民地時代に、フランスのインドシナ総督府ノロドム宮殿として建てられた。
 その後、独立宮殿と呼ばれ、南ベトナム政府の大統領官邸として使われた。現在の建物は1962年から4年ほどかけてアメリカの援助で建てられ、ここにアメリカの傀儡政権がおかれた。

 大小100以上の部屋と屋上にはヘリポートまである。 1、2階は大会議室、宴会場、大統領と副大統領の応接室などが並んでいる。その上は大統領とその家族のための生活空間で、大統領夫人の宴会室や娯楽室、最上階にはダンスホールまである。(ダンスを習っている妻は、こんな広いところで踊りたいな!と羨ましがっていた)
 
 地下室への途中でショップに寄る、一弦と竹琴で奏でる少数民族の音楽CDを買う(9US$ ちょっと高いなあ?)
 
 
 地下は一変して秘密の軍事施設だった。

 大統領司令室、暗号解読室、作戦会議室、電話室、放送局室、野戦用といった感じのベッドルーム、食堂、炊事室などがあった。

 1975年4月30日、解放軍の戦車が鉄柵を突破して、この大統領官邸に無血入城を果たして、長かったベトナム戦争は終わりを告げた。
 
 4階の窓から解放軍の戦車が進んできたレズアン通りが良く見える。(右の写真)
 
 南ベトナム民族開放戦線軍が制圧したときの情景を伝えるニュースを聞いたときの感動は今でも忘れられない。 
 海上に停泊したアメリカ軍の艦船に逃れようと、ヘリコプターに乗りこもうとするベトナム人。乗せまいと押しもどす白人。
 アメリカが相変わらず世界のどこかで戦争を起こすたびに、ベトナム戦争を思いだすのはわたしだけでしょうか。

 
 統一会堂を出て、並木の美しいレズアン通りを300mほど歩くと右手がサイゴン大教会
 このあたりはスリにご用心とガイドのファンさんが注意を促がす。

 19世紀末に立てられた赤レンガ造りの教会で、中はとても広く明るく、ゴシック様式の天井でなかなかしゃれた雰囲気の造りだ。

 サイゴン大教会の次に向かったのは道路を挟んですぐ向かいにある中央郵便局

 これまた、19世紀にフランス植民地時代に建てられた貴重な文化財。いまでも、中で普通に郵便業務が行われている。観光客で一杯だ。日本へのはがき用に7000ドン切手を買う。
 
 正面にはホーチーミンの大きな肖像画が飾られている。
入り口に近い左右壁面上部に、サイゴンとメコンデルタの古い地図が額に入って掲げられいる。
サイゴン教会協会内部 中央郵便局外観 中央郵便局内部(ガイドのファンさんと)

 次に入った 歴史博物館は外観はアジア風だが、フランス人建築家によって建てられたものだそうだ。
 内部は大きく二つに分れている。1つは先史時代から1930年の共産党誕生までのベトナムの歴史。いま1つは、チャンパ王国を中心とした南部ベトナムの芸術品や文化遺産の展示。
 
 わたしは、ちょっと便意を催したりしてあまり良く見なかった、というより、あまり興味が湧かなかったといったほうが正しいか。

 本音は、ここより戦争証跡博物館の方を見たかったんだけれど。


 
        国営百貨店に寄る。
 
クッション材でていねいに梱包してくれた

  予定では、この後ベンタイン市場へ行くことになっていたのだが、鶏を敬遠して取りやめ、レロイ通りとグエンフエ通りの交差点角にある国営百貨店に入る。(Mさんは、ホーチミン像他をカメラに収めんと町の中に出かけて行った)。

 さて、妻がハノイの絵葉書を買いたいと言う。絵葉書売り場はすぐ近くにあったので、ハノイの絵葉書を探すが見当たらない。売り場のお嬢さんに尋ねるが無いようだ。無理もないと思うよ、博多のデパートで札幌の絵葉書を探す様なもんじゃないか。
 絵葉書は、あきらめて移動。
 
 2階左手に、陶器売り場があるのがすぐ目に入り、立ち寄る。

 おっ!バッチャンの店よりも好いバッチャン焼きがあるではないか。
 
 小鉢と下皿とれんげをセットにして6組をもとめることにした。けれど、同じ色合いのものが揃わない。「ちょっと待ってて、取ってくるから」といって年配のおばさん風が、どこかに倉庫でもあるのか店を離れていった。
 
 なかなか帰ってこない。集合時刻がせまってくる、もう一人の店員に「4時半にはここを出なければならないんだけど」と言ったら、「姉はすぐに戻るから大丈夫」と言う。姉妹で店をやっているらしい。

 支払いはカードも円もだめ!小銭のドンしか持っていない、困った顔をしていると、「1階に銀行があるよ」と教えてくれる。全部でテゥエンティーセブンハンドレッドサウザンドだと言う。
 ハンドレッドサウザンドなんて数字はすぐにピンとこないよ! 
 いったいいくらの円を交換したらいいのかな?

 銀行でとりあえず1000円札を出すと、額面いろいろのドン札がごっそり返ってきた。でも本当は、これでは足らなかった。 もう一度妻が交換に行く。

  妹の方の店員が話しかけてきた、「いつ日本にお帰りですか? ベトナムはいかがでしたか?」と。
 「ファンタースティック! エクセレント! 美しい風景と美味しい食事・果物を満喫したよ〜 楽しかった!」って答えたら、嬉しそうに、にっこり素敵な笑顔を返してくれた。


 サイゴン川をカメラにおさめて、ホテルに戻る。

 ちょうど夕刻で、ベトナムの各都市の名物、バイクラッシュが始まっている。 

   
ホーチミンのバイク行列は凄まじい!

 夕方のロータリーは、バイクの奔流が渦を巻いている!
 
 みんなヘルメットなし、排気ガスよけのためかSARS・鶏インフルよけのためか?マスクをしている人も多い。
 
 ホーチミンでは、幹線道路だけ走るバス以外には庶民の交通手段が無いため、1990年代以降、バイクが爆発的に普及したそうだ。
 人口700万に350万台のバイクだ。
 日本製のバイクが人気だが、高いの(40万円くらいする)で、中国製で我慢する人が多いと言う。
 

 夕食は「Soug Ngu」というシーフードレストラン。 少数民族衣装の女性3人が生演奏する例の少数民族音楽を聴きながら、ビールとお茶で乾杯。

 パックツアーはこれでおしまい。 
 8時半、ホテルの戻る、Mさんとはここでお別れ、そのまま空港へ。

  ファンさんに明日のメコンデルタ一日ツアーを申し込んでもらった。(一人40US$)